そのとき、上演会場にてお世話になった地元の方から、最近メールをいただきました。
上演から1年以上経ったのにもかかわらず、覚えていてくださり、改めてお礼のメッセージをくださいました。
ご本人の了解もいただきましたので、すこし、メッセージの一部をご紹介したいと思います。
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「かぐやひめ」では、子供向けでは笑い、お年寄り向けでは涙を流させていただきました。また、「やぎのおはなし」では、なんだかよく分からないけど、ほのぼのとした気持ちにさせていただきました。
震災から1年間、感情を押し殺したような状態が続いていたので、公演を見て「ああ、泣いていいんだ!」「笑っていいんだ!」と改めて思ったのを覚えています。
公演当時は、震災から1年後ということで、3.11の辛いことを思い出して、誰もが大なり小なり精神的に少し異常になるような「記念日反応」というのが出ている時期でした。
公演報告を読み、市民の皆さんの様子をしっかり見て、理解していてくれたんだなと感激しています。そして、今も頑張って活動を続けているんだなと嬉しくなりました。
鵜住居での公演、本当にありがとうございました!!
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釜石での公演のことは、本当によく覚えています。
みんなで、被災地で私たちの作品を上演するってどういうことだろう?と、話し合いました。
「かぐやひめ」は、最後、愛する家族、恋しい人と別れてしまうお話です。
物語、フィクション、ファンタジーが、途方もない現実の前にさらされたとき、それは果たして力を持つのか。
私たちの作品は、本当に「芸術」の力を持っているのか。
話し合っていて気づきました。
「被災地」だから、じゃない。
「被災者」だから、じゃない。
だって、愛する人を突然失った人、途方もない絶望の中にいる人、必死に生きようとしている人、
今までだってきっと私たちはたくさん出会っている。
これから出会うひとのなかにも、きっとそういう人たちはいる。
世界にはたくさん、そういう思いをして生きている人がいて、亡くなった人がいて、私自身もそんな世界に生きている。
だったら、そんな世界を切り取った物語を精一杯描くことが、私たちの仕事じゃないか。
どんなに辛く、哀しい物語でも、また幸せな物語でも、それはこの世界のまぎれもない一部で、同じ思いをしているのはあなただけではないよ、ひとりじゃないよ、と全身で観客に伝えることが、私たちの仕事じゃないか。
その仕事をすることしか、できることはないんだ。
そんな思いで、釜石のみなさんに、「かぐやひめ」を観ていただきました。
正直、私たちとてもとても緊張していました。
メッセージの中にもありましたが、「記念日反応」というものが、確かにみなさんの中にあると、その時も聞きました。
そんなつらい中にありながらも、「ありがとう」といってケーキをくれたおばあちゃん、「はじめて孫が笑ってくれた」といって涙していたおばあちゃん、そして、メッセージをくれたスタッフの方。
その心の強さに触れて、
私たちの仕事には、意味があるんだな。
やっていてよかった。釜石で上演できてよかった。
本当に、感謝に気持ちでいっぱいです。
お返事に書いてらっしゃいました。
釜石のことを思い出してくれるだけで、お話してくださるだけでありがたいです、と。
釜石での公演で感じたこと、私たちがいただいたものを、これからも作品に込めて、世界中のみなさんに届けたいと思います。
もう一度、釜石に行きたいな!
ぜひ、このブログの「釜石公演のご報告」、ご覧ください!